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ジャカルタとは
2011/03/28
ジャカルタ首都特別州(Propinsi Daerah Khusus Ibukota Jakarta, DKI Jakarta, Jakarta Raya)、
通称ジャカルタ (Jakarta)はインドネシアの首都であり同国最大の都市です。
2010年の近郊を含む都市的地域の人口は2,200万人であり、なんと世界第2位。
ジャカルタは世界屈指のメガシティであり、東南アジア有数のグローバル都市でもあります。
東南アジア諸国連合 (ASEAN) の事務局を抱えています。
かつてはスンダクラパ (Sunda Kelapa)、ジャヤカルタ (Jayakarta)、バタヴィア (Batavia)、Djakartaと呼ばれていました。
ジャカルタの名称の起源については、ジャヤ(幸福繁栄の意)+カルタ(都)の二つの単語からなる合成語であるという説があります。
ジャカルタ首都特別州は外務省の呼び名ですが、同市と姉妹都市関係を結ぶ東京都ではジャカルタ特別市と呼んでいます。(参照:Wikipedia)
ジャカルタの歴史
2011/03/31
ジャカルタはもともと16世紀はじめまで、西ジャワのパジャジャラン王国の港町、スンダ・クラパとして発展しました。
14世紀に成立した中国・明朝のもとでインドネシアの海域は册封体制下におかれ、
アジア域内における交易ネットワークに組み込まれていました。
スンダ・クラパもまた、この海域の他の港市とともに、中国との朝貢貿易や私貿易、中継貿易で重要な港町として発展していました。
スンダ・クラパをジャヤカルタと改名したのは、1527年にこの地を征服したバンテン王国のスルタン、ファタフィラです。
16世紀末に、この海域でのポルトガルの香辛料独占に対抗するため進出してきたオランダは、
西ジャワの王族の内紛に介入し、その一方に軍事援助を行う見返りに、ジャヤカルタを手に入れました。
1619年、オランダ東インド会社総督、クーンがジャヤカルタに要塞を建設し、この地をオランダの先住民バタウィにちなんで、
バタヴィアと改称しました。その後、オランダ東インド会社の基地として、さらに後にはオランダ領東インド国家の中心都市として
発展していくことになったそうです。
第2次世界大戦では日本が東インドのほぼ全域を占領し、その間の1942年に日本軍政当局がバタヴィアをジャカルタと改称しました。
以後、その名称は現在に至っています。
オランダとの独立戦争後、都市機能が肥大化し、地方・島嶼部の人口が大量に流入してアジアでも最大規模の都市の一つとなりました。
しかし他の発展途上国の首都同様、住宅など社会施設が整わず、深刻な都市問題を抱えています。(参照:Wikipedia)
ジャカルタの地理
2011/04/02
ジャワ島北西岸、チリウン川河口に位置します。北部に外港タンジョンプリオクがあり、 海岸に近い商業街とそれから離れた新市街に分かれています。 ジャカルタ行政区を含めた4地域はまとめて、ジャボデタベック (Jabodetabek) と呼ばれています。 これは、ジャカルタ (Jakarta)と西ジャワ州のブカシ市(Bekasi)、ボゴール市(Bogor)、デポック市(Depok)、 バンテン州のタンゲラン市(Tangerang)の頭文字を繋ぎ合わせたもので、ジャカルタ首都圏の呼称として定着しています。 (参照:Wikipedia)
ジャカルタの商店街「ブロックM」
2011/04/02
【ブロックM】
ブロックMは、ジャカルタ南部のデパートや商店、レストランが密集する地域。
地区東にデパート・パサラヤ (Pasaraya)、地区西にショッピングモール、ブロックMプラザなどがあります。
現地在住の日本人向けの商店も多いのがこの地区。 KOKO(ココ)、Kamome(カモメ)、PAPAYA(パパイヤ)といった日本人向けの
スーパーがあります。また少し離れているがWijaya Center(ウィジャヤ・センター)内にはCOSMO(コスモ)という
日本食スーパーマーケットもあり、日本人向けのカラオケ店もブロックM内に林立するなど、日本人駐在員の憩いの場となっています。
(参照:Wikipedia)
バックパッカーの宿町「ジャラン・ジャクサ」
2011/04/02
ジャラン・ジャクサ(Jalan Jaksa)(またはジャクサ通り)は、インドネシアの首都ジャカルタ中心部にある通りの名前。 長さはおよそ400mで、通り沿いにはバックパッカー向けのゲストハウスや安宿が多くあります。 モナス、ガンビル駅、国立博物館から南へ約1キロの場所に位置しています。 名前の由来はオランダ植民地時代に遡ります。ジャカルタ法律学校(Rechts Hogeschool Batavia)の学生が、 勉学のためにこの通りに滞在していたため、この通りは公式にジャクサ通りとして知られるようになりました。 ジャクサ(Jaksa)とはインドネシア語で検事の意味。 1960年代に、国際ユースホステル連盟(Hostelling International) を通じて、 バックパッカーの間で国際的によく知られるようになりました。 1968年、インドネシア・ユースホステル連盟の会長であったNathanael Lawalata氏が、自宅をホテルに改装し、 宿泊施設「Wisma Delima」をオープンさせました。 このホテルは、ジャクサ通りで最初のホテルであっただけでなく、当時、 国際ユースホステル連盟のリストに載っていた唯一のジャカルタのホテルでもありました。 その後通りには多くのホステルが建てられ、ロンリープラネットなどの人気のある旅行書や書物に登場するようになったそうです。 (参照:Wikipedia)
ジャカルタのテーマパーク「アンチョール」
2011/04/08
アンチョール・ジャカルタ・ベイシティ(Ancol Jakarta Bay City)はインドネシアのジャカルタにある遊園地、
ゴルフ場、ボウリング場、リゾートホテル、プール、水族館などが一体になったテーマパークや高級住宅が建ち並ぶ地区です。
アンチョール海岸のマリナ・ヨットハーバーからジャカルタ湾にあるリゾートアイランド
(プロウ・スリブ)行きの高速船が出ています。
アンチョールには数々の施設があります。そのなかでも、ゴルフ場 (Executive Golf Fun)、
シーワールド、ドゥニア・ファンタジー遊園地(Dunia Fantasi)、グランガン・サムドラ水族館 (Gelanggang Samudra)、
アトランティス・ウォーター・アドベンチャー・プールテーマパーク (Atlantis Water Adventures)などが特に人気があるようです。
その他、インドネシアの伝統的な木彫り、革製品、バティック、絵画、民芸品などを展示する
アートギャラリーパサー・スニ(Pasar Seni)があり、ステージではインドネシア民族音楽の他に
様々のジャンルの音楽ライブが開催され、週末・休日にはカップルや子ども連れの家族がよく集まる場所です。
グランガン・サムドラ水族館は2006年に改築され、イルカやアシカのショーやバードパーク、
東南アジア最大級4-D映画館があります。
また、ジャカルタ湾を眺望するプトゥリドゥユン・コテージ、メルキュレーホテル 、ラディン・アンチョールなどの
リゾートホテルもあります。カーニバルビーチ(Pantai Carnival)とフェスティバルビーチ(Pantai Festival)では
様々なイベントが行われ、家族連れの遊び、夜にはカップルで賑わいます。
大晦日にはカウントダウン・イベントやダンドゥットライブや花火大会が開催されています。
フライドチキンやミバソなどのファーストフード店、ジンバラン(バリ料理)、シンパン・ラヤ(パダン料理)などのレストランがあります。
その中でも特にバンダル・ジャカルタ・インサイド・シーフードレストランは魚市場のような雰囲気で、生簀から、
自分で選んだ魚介類を調理してくれる事で有名です。アンチョール地区の入場料はRp.10,000(子ども・大人)。(参照:Wikipedia)
国家独立記念塔「モナス」
2011/04/08
モナス (Tugu Monas)はインドネシアの首都ジャカルタの中央ジャカルタ地区にある公園「ムルデカ広場」の
中心部にある国家独立記念塔の名称。モナスとは「Monumen Nasional (英語でNationnal Monument)」を略した造語。
エレベーターが設置され、最上部は展望台になっており、ジャカルタ市内を見渡すことが出来ます。
また底部は歴史博物館になっています。
たいまつやろうそくのように見える塔の外装は白い大理石製で、高さ137メートル。頂上部には高さ14メートル、
直径6メートル、重さ14.5トンの青銅製のレリーフがあります。
レリーフは77のパーツから構成された炎の形で、重さ35キロ分の純金めっきがされています。
レリーフは「アピ・ナン・タッ・クンジュン・パダム(Api Nan Tak Kunjung Padam)」と呼ばれ「永遠に燃え続ける火」の意味であり、
独立戦争中のインドネシア国民の闘志を象徴しています。使用された金はブンクル州のルジャンルボン金山から産出した物だそう。
夜になると炎のレリーフがライトアップされ、遠くからみると座っている女性のシルエットのように見えるといわれています。
塔と台座はヒンドゥー教で男女の象徴である「リンガとヨニ」や、インドネシアの伝統的な「米用の杵と臼」をイメージして
デザインされました。
モナス塔のデザインにはインドネシア独立記念日(45年8月17日)にまつわる数字がかくされています。
塔の台座となる基部は45メートルx45メートル、地面からの高さは17メートル。モナスの地下にある歴史博物館(Museum Sejarah Nasional)は壁と床が大理石で出来ています。この床の広さは80メートルx80メートル、天井の高さは8メートル。歴史博物館の中には48個のジオラマパネルがあり、古代から現代までのインドネシア史の主な出来事が描かれており、独立記念日の数字にこだわって設計されています。(参照:Wikipedia)
世界最大のモスク「イスティクラル」
2011/04/08
イスティクラル またはイスティクラル・モスク、インドネシア国立モスク(Masjid Istiqlal)はインドネシアの
首都・ジャカルタの最重要部・モナス(独立記念塔)のある広場に面した国立のインドネシアの国教であるイスラム教の
寺院であるモスクです。白亜の直径45mのドーム型の建物は、世界最大のムスリム人口を抱えるインドネシアに相応しく
世界最大のモスクで1984年につくられました。なんと12万人以上が収容できるそうです。
国会議事堂とも至近距離であるからして、このモスク、ひいてはイスラム教がインドネシアにとって
どれほど重要かがわかる建物です。
建物の名称になっている「イスティクラル」とは、アラビア語で「イスティクラール」といい、「独立」を意味します。(参照:Wikipedia)
